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2008年5月31日(土)
読書

 昨日,食材を購入してあったので,今日は1日部屋に籠って読書。明日,長春日本語教師勉強会なので出かけるわけにもいかないのである。
 明日の勉強会は6月いっぱいで長春を離れる先生方の送別会も兼ねている。

2008年5月30日(金)
足道

 昨夜帰宅が遅かったので,ゆっくり起床。タクシーで出勤。3・4校時3年生。昼食は北食堂1階の涼拌麺3元。食堂からの帰りに図書館に寄り1階売店でアイス。
 午後,作文の添削。16時過ぎに大学を出る。これまた疲れているのでタクシーでスーパー恒客隆まで。食材の買出し。マクドナルドのソフトクリーム2.5元を食べながら移動。まだ明るいので足マッサージへ。45分間20元のコース。以前行ったことのある町のマッサージ店である。多くは足道の看板が掲げてある。あっという間に45分過ぎた。18時過ぎに宿舎帰宅。歩数9831歩。

2008年5月29日(木)
瀋陽 領事館 遼陽 白塔

 早起きして6時過ぎにタクシーで出発。曇りなので傘も持っていく。7時13分発のCRH(新幹線)。地図で見ると長春・瀋陽間は日本の長崎・広島間くらいに相当する。日本の場合は山が多いので一直線というわけにはいかないが,こちらはほぼ一直線。2時間ほどで瀋陽到着。
 先ずは用件を済まさなければならない。在瀋陽日本国領事館へタクシーで。入り口の道路は鉄条網で閉鎖され兵士のような服装をした警備員が直立不動で睨んでいる。入り口はこれまた重々しい警備。パスポートを見せ,二重三重のチェックを受け門の内部に入れた。壁に沿って行くようにとの注意通り壁に沿って窓口のある建物に辿りついた。なかなか記入に手間取り時間がかかる。ついでに在外投票の手続きもしているとさらに時間がかかった。若い領事館の方には親身になって対応してもらった。出口はその建物のすぐ前で,首にかけてあった入官カードを返却して外に出ることができた。11時30分頃になっていた。昼食のために瀋陽で一番賑やかな通り,中街へ。吉野家の牛丼セット21.5元。食後しばらく散歩して,その後歩いて故宮の近くの古玩城へ。巨大なビルだが平日とあって人影が少ない。そこで郵票を扱う業者の店を見て回る。特に収穫はなかった。
 さてどう時間を使おうか。遼陽の白塔を見に行くか,撫順に行くか。結局遼陽に行くことに決め,古玩城から長距離バスの発着所までタクシー。そこから遼陽行きのバスに乗り約1時間。遼陽駅前のバスターミナルに到着。20元。この時点で16時前。タクシーで白塔に行くが出発してすぐに白塔が見えた。歩いていける距離。
 白塔は巨大な建造物で目の当たりに見ると圧倒される。約70メートルの高さ。金の世宗が母のために建てた塔だそうだ。日本でいうと平安時代末期・鎌倉時代直前の時代にあたる。この塔,塔の下のほうの層には草が生えあまりいい状態の管理がされてない。この周囲が公園として整備されている。隣の広佑寺は大仏殿に金色の大仏。こちら側からの白塔もなかなかいい。再び駅まで歩いて行き,長距離バスに乗る。満員になったら出発。行きは途中で寝たので気づかなかったが高速道路を走っていた。遼陽・瀋陽間約50キロを1時間で行くのだから快適である。
 夕食は瀋陽に来たときはいつも老辺餃子。焼き餃子と海鮮餃子と蟹水餃子の3品とビールで72元。時間があるので瀋陽北駅までバスで行こうと待つが来ない。訊くともうバスがない時間帯。歩いても30分ぐらいというので歩いて行くことにしたが小雨がぱらつくのでタクシー。三輪タクシーに訊くと10元というので普通のタクシーに。タクシーに乗ると反対方向にUターンする。河を越えていくので方向が逆ではないかと抗議して引き返す。結局大きく遠回りをして15元で到着したが,基本料金の8元のみの支払い。ぼられるところだった。長春ではそんなことが一度もないのだが。
 瀋陽北駅21時22分発の新幹線で長春着は23時30分頃。長い1日が終わった。
 歩数18304歩。

2008年5月28日(水)
黄砂に吹かれて

 昨日は一歩も外へ出なかったので,朝外へ出て驚いた。外は黄色の埃で覆われている。道行く車は泥だらけ。まるで噴火災害の頃の島原のような景色。ちょうど宿舎前をタクシーが通りかかったので,迷わず乗車。自由胡同を行くと渋滞にもかからず5分ほどで到着。
 1・2校時3年生,3・4校時2年生。昼食は内藤先生と北食堂2階。今日は最高気温が16度と少し寒いので久しぶりに米線(糸の替わりに食の字)屋で砂鍋麺。スープがうまいので残さず食べてしまう。
 午後,卒論受け持ち最後4人目の学生が初稿を持ってきた。まずは私も作品を熟読するところから始めなければいけない。16時前に大学を出るとき気づいたが,空は黄砂でどんよりと曇っている。でも今日はあまり歩いていないので歩いてスーパー恒客隆まで。食材の買い物。
 帰宅してみると,シングルベッドの電球の球がちゃんと交換されていた。ベッドのシーツもきちんと畳んであった。歩数10776歩。断熱効果抜群の部屋のため部屋は少し暑い。エアコンを昨日に引き続き入れた。昨日初めてエアコンを入れてみたのである。夕食は昨日作ったカレー。
 明日は所要で瀋陽の領事館まで日帰り。新幹線の往復分をスーパーの向かいの鉄道切符売り場で購入。朝7時台の列車なので宿舎を6時出発,帰りは23時過ぎ長春帰着予定。

 月曜日大学宛に届いていたJAPANオークション誌。大学宛だと土日が入った場合2日遅れになる。でも締め切り前に着いたのでよしとしよう。なかなか見れないが明日車内ででも見るとしよう。

2008年5月27日(火)
雨読

 朝起きると外が暗いのでベランダから中庭を見ると,雨。9時頃,服務員2名がベッドメイキングと掃除に来た。シングルベッドの電球の球が切れている旨伝えると明日交換するとのこと。
 午前中・午後と1日中読書。明日の授業の準備。

2008年5月26日(月)
作文添削

 1・2校時がないので10時に間に合うように出勤。3・4校時3年生。昼食は内藤先生と北食堂へ。肉燥飯という茸と挽肉の砂鍋飯。
 午後はひたすら作文の添削。18時前に帰宅。歩数7888歩。

2008年5月25日(日)
旅行3日目 鴨緑江大橋 虎山長城

 7時モーニングコール,7時30分朝食,8時出発というスケジュール。朝食は洋風バイキング。あれこれ選んでいたら食事の時間が短くなり7時50分過ぎに荷物を取りに部屋へ戻り集合に間に合ったのだが,その時点で集まったのは日本人3人のみ。欧米人の方々は朝食を満喫されていた。日本人教師3人のほかはイギリス・カナダ・オランダ・フランス・トルコ・ロシア(2)の7人の方々。見たところ私より年が下なのは3人のみ。ということは私は教師団10名のなかで4番目に若いということになる。
 欧米人の方々は口々に今日の朝食はよかったとおっしゃっていた。私ももっとゆっくりコーヒーを味わいたかった。
 鴨緑江に行き,川の遊覧船に乗る。その後断橋の見物,再びバスに乗り30分,虎山長城へ。30分後に出発なので長城の途中で引き返した。
 再び丹東市内に戻り,昼食。韓国系の海鮮料理。サザエの料理はみなさんがあまり食べないので私が皿の半分ほどいただいた。隣のテーブルはこの料理がごっそり残されていが,それまでいただくほどずうずうしくはない。
 12時に丹東市内から高速道路に乗り瀋陽を目指す。途中サービスエリアで休憩したりして瀋陽着14時30分。オリンピックのスタジアムの工事が行われているのを見ながら通過。オリンピックのサッカー予選が行われるらしい。この分では18時くらいに長春に着くなと漠然と考えていたがそれは甘かった。
 瀋陽に着いたはいいが,しかしそこからがたいへんだったのだ。どうも運転手が道に迷ったらしい。街の看板を見ると撫順とある。撫順は方角が別ではないかと不思議に思っていると引き返す。運転手は道行く人に聞いたり地図を広げたりで長春行きの高速の乗り口を探す。蒲河で乗れず鉄嶺からようやく高速に乗った。開原サービスエリアで休憩。四平・公主嶺を通り長春着は20時。日本人教師3人で東師会館3階のプチ北国で食事をしてタクシーで帰った。歩数8766歩。

2008年5月24日(土)
旅行2日目 漂流 遊覧

 朝6時10分モーニングコール,6時40分朝食,7時10分出発というスケジュール。午前中は青山瀑布という滝。下って滝を見物した後,山登りして滝を見下ろす地点から展望。結構な運動量。きっと歩数も伸びていることだろう。ホテルへ戻り昼食。午後はホテルの近くで河下り。昨年もあったが急流とゆったりした流れとの組み合わせでけっこうスリリング。私が前でオールを漕ぎ,うしろで金子先生が指示。終点近くで写真を撮るサービスがあり15元。写真の説明文字は「青山溝満家塞漂流留念」とあった(「溝」と「塞」は簡体字)。更衣をして再びバスに乗って次の周遊地,青山湖へ。ダムで堰きとめられた人造湖。遊覧船で1周するが何箇所か満族の集落に立ち寄った。見所は滝や大きな松。ホテルに帰り早めの夕食をして出発。丹東市内を目指す。そこから3時間かかり真っ暗な頃に到着。暇日陽光酒店という4星ホテル。SUNNY RESORT HOTELというそうだから外資系なのかもしれない。21時過ぎに寝る。歩数19471歩。

2008年5月23日(金)
4年生卒業考査 旅行1日目

 朝,旅行の準備をして歩いて通勤。自由胡同を行き大学病院前の門から入る。早めに到着。1校時から4年生の卒業考査。6階の3教室に行くと全員揃っていてまずは安心。授業時間帯に行うので,8時に開始して9時30分終了。それから30分の休憩時間に卒論指導。3校時が始まる10時近くまでかかってしまった。4校時終了が11時30分。テキストなどの教具を513号室に置き,急いで図書館の売店へ行きパンと飲み物を購入。再び研究室へ戻り,旅行用荷物を携え,管理センター前へ。もう既に何人か集合していた。11時50分集合なので待っているうちにパンをかじる。12時大学を出発。正門を左折して人民大街をひたすら南へ行き,高速道路の入り口まで。途中で一般道路へ降り南へ。農村地帯は田植えの時期。梅河口から柳河,通化を経て,1年前の旅行先である五女山を左手に見てなお進む。あたりがだんだん暗くなってきた。20時ようやくホテル着。丹東の満族自治県の青山溝というところにある三星ホテルの東興大酒店というホテルである。夕食の後,寝る。歩数7388歩。

2008年5月22日(木)
明日から再び旅行

 在宅ワークの日。今週はとにかく忙しい。明日1・2校時が卒業試験。20日朝帰ったばかりなのに,明日昼から再び国際交流科の招待旅行。気がかりな25日延期予定だった日本文化祭も四川大地震の影響で中止。弔慰を表すために賑やかな行事はしないようにと学院長のお達しがあったと実行委員会の学生が昨日教えてくれたので25日まで行けることになった。24日深夜に帰らなければならないかと計画していたところなのだ。
 午後から外出。児童公園・牡丹公園。牡丹公園は昨日の雹で花がやられたそうで散っている花がいくつも見られた。夕方になったので近くの川王福火鍋城で食事。ビールはジョッキで牛2皿で64元。食後の散歩を兼ねて児童公園の中を歩いてからタクシーで帰宅。歩数8693歩。

2008年5月21日(水)
雨 卒論指導

 朝,2階の宿舎から下に降りてみると雨。傘を取りに帰る。同志街まで行きタクシーで通勤。自由大路の南の自由胡同を行ってもらったので5分とかからず到着。1・2校時3年生,3・4校時4年生。11時30分授業終了後,卒論指導の学生が来室。ほぼ最終的な指導。その後内藤先生と北食堂2階へ。麻婆豆腐丼みたいなものを食べてみた。
 食堂からの帰りは雨。万一のために持ってきた傘が役に立った。そのまま研究室に帰り,学年末テストの最後の見直し。間違いないのを確認して印刷室に持っていく。14時過ぎにもう一人の卒論担当者が来室。この学生はもうしばらく時間がかかりそう。
 その後作文の添削を少々。明日在宅で仕事をするための準備をする。帰る前に印刷室からテスト問題を受け取り部屋に保管。17時頃帰宅。今日はあまり歩いてないので傘をさして歩いて帰宅。万歩計10169歩。

2008年5月20日(火)
無事帰着 卒論指導

 昨夜は列車が出発してしばらくしたら消灯。十分アルコールが入っていたので,そのまま朝まで眠れた。5時50分頃長春駅到着。タクシーで宿舎に帰る。入浴と洗濯をして大学へ。昨日の授業を替わってもらったので,3・4校時3年生の授業。昼食は内藤先生と北食堂2階。西側入り口を入った定食屋の横の麺屋の涼拌面。
 午後は卒論指導の文書添削。16時30分頃に大学を出て児童公園の近くへ。そのまま重慶路の郵便局へ。6元切手があるかと思ったが5元切手しかなかった。でも5元切手もどこにでもあるわけではないので30枚購入。四川大地震の寄付金つき切手があったが1人1枚の制限。2枚購入。額面1.2元に1元の寄付金付。その後重慶路の店やウォルマートで食料品などの買い物。夕食はウォルマートの出口にある肯徳基(ケンタッキー)で。海老バーガー単品15.5元にペプシコーラとフライドポテトのセットにして。ソフトクリーム3元も食後のデザートに。
 タクシーで帰宅。歩数11787歩。

2008年5月19日(月)
大連3日目 旅順観光

 6時30分から7時が食事ですと昨夜学生から連絡を受けていたので6時40分に地下1階の食堂に行くが人が少ない。学生や内藤先生にケータイで連絡するが連絡取れず,一人でする。代金は宿泊カードでOKだった。しばらくして林教授。どうも連絡が行き違いになっていたらしい。再びそこでみなさんと食事。
 8時にタクシーで出発。旅順行きのバスターミナルまで。バスに乗って1時間弱。水師営で下車。タクシーで水師営会見所まで。すぐ近くだった。日露戦争の乃木大将とステッセルの会見場所である。入場料30元。日本語の流暢な女性係員が案内してくれた。絵葉書を購入50元。見学終了後バス停まで。途中水師営市場見学。サクランボが安かったので購入。昼食時のデザート。バスで終点のバスセンターまで。いきなり私が中国語で話しかけられる。林教授が話をし旅順市内見物80元で話をつけてくれた。タクシーだったのだ。4・5時間かかるらしい。
 最初は清代武器庫。学生が日本語はしゃべらないようにと注意。たしかに日本語のガイドブックでは紹介されていない場所。途中旅順駅で写真撮影。当時の駅舎が現存。道路の反対側は軍港なのでそちらを写さないように注意。その先の橋から白玉山の塔を背景に写真撮影。軍港が見下ろせる場所なので外国人は見学できないので遠くから写すしかない。
 昼食の後,二〇三高地。中腹の売店には日本語の達者なおじいさん。そこから登山。爾霊山(にれいさん)が二〇三(にれいさん)の音を通わせたものと初めてわかった。乃木大将が建てた爾霊山と書かれた忠霊塔が今でも残っている。中国側の説明では例によって日本の中国侵略の証拠と書かれてあった。乃木は日本人民を騙したとも。その説明の文句こそが今の中国の歴史観の表明であろうし,後世にとっては現在の中国を理解する格好の資料となろう。
 全て終了し,旅順のバスセンターから直通バスで大連に向かう。途中からタクシーで宿舎に帰り,浴場に行くことに。学生はいかないというので3人で。タクシーの運転手のお勧めの浴場に。私はアカスリと頭皮・全身マッサージ。3人で80元だったが私の分だけで50元ほどらしい。
 夕食は大学正門横の「天天漁港」という海鮮中華レストラン。林教授の教え子の方々と。時間をかけて食事。
 21時過ぎに大連駅に向かい,22時過ぎに列車出発。万歩計13907歩。

2008年5月18日(日)
大連2日目 大会当日

 6時に地下1階の食堂に行く。6時20分からだそうだが食事できた。
 7時過ぎに大連外国語学院のバスで旅順キャンパスまで1時間弱。
 第3回日本語スピーチコンテストは8時30分に開始。挨拶の後,課題スピーチ。5分以内の制限。11時30分から昼食。13時から午後の部。即席スピーチ。3分以内の制限。
 全て終了し,審査集計中はスポンサーの紹介ビデオと企業代表挨拶,アトラクションなど。審査発表。結果は3連覇ならず。弱点は今後の課題である。
 再び大学のバスで宿舎まで。夕食は参加選手と引率教師・大会関係者の懇親会。宿舎地下1階の食堂が会場。終了後酔い覚ましも兼ねて長春日本人教師会の先生方と散歩。再び日本風情街・七七街・中山広場と回る。帰りはさすがにタクシーで。歩数10152歩。
 今朝お湯が出なかったので,夜のうちに入浴。

2008年5月17日(土)
大連1日目

 昨夜は,20時40分に大学正門集合。間に合うように荷物を詰めタクシーで向かう。この日は選手の学生と内藤先生と私の3人。学生の自宅は長春なので自家用車で駅まで送ってもらう。行きは学生本人で我々を降ろすと母親が運転して行ってしまった。
 出発は22時20分。約30分前に改札なのでそれまで待合室で待つ。寝台は硬臥だが下側3列。出発してしばらくして消灯。

 日付が5月17日に変わった瞬間,日本宛に日本のケータイからメール。グローバルケータイなので日本宛に通信できるのである。この日は特別な日。20年前のことやこの20年間に思いを馳せながら。ほどなくして返信があったのを確認して就寝。
 朝6時9分大連着。駅に一足作に大連入りしていた林忠鵬教授にお出迎えしていただいた。タクシーで宿舎の大連外国語学院賓館へ。二星取得のホテルである。今回の大会実施会場校であり,事務手続き校でもある。大連市内のキャンパス内は敷地が手狭で大学を名乗ることができないらしい。来年度から本格運用の旅順の新校舎オープンでようやく大学と名称がなるそうだ。そのための新学部が軟件学部。コンピュータソフトの学部である。その大学新生にあわせてのお披露目を兼ねた大会。現在でも日本語科だけでも30人の20クラスで600人が1学年。将来的には1学年1000人募集するとのこと。それに比べわが大学は1クラスのみで25名定員でクラスによっては30人なので20倍から24倍の比。この日本語スピーチコンテストは今年で3回目。中国8地区で予選が行われ各地区2名を選出。東北地区は過去2回とも大連外国語学院と東北師範大学。ともに3連覇をかけた大会。
 中国のホテルは朝からチェックインできるのが特徴。保証金500元を払いチェックイン。ホテルの自室に荷物を置き朝食はいくつかある学食の一番いいと言われるカフェテリア形式の学食。コロッケなどの洋食関係が充実した学食だった。
 食後そのまま近隣を散歩。すぐ近くに旧日本人高級住宅街。日本風情地区として整備されている。当時のまま残る建物も多く,庭の様子は日本家屋そのもの。その北側の七七街も多くの日本住宅が残る。児童公園から中山広場を目指して歩く。露天では古本が並べてありその中に「標準日本語」。著者の林忠鵬先生が安過ぎると嘆かれた。サインしたら高くなりますかね,いやかえって安くなるなどと会話しながら通り過ぎる。中山広場では偽満州時代の建物群の見物。大連賓館の珈琲ショップでコーヒーを。メニューがいっぱい書いてあるが結局コーヒーはUCCコーヒーのみしかできないとのこと。1杯40元でおつまみ付。日本円で600円ほどだが中国の物価から換算すれば4000円のコーヒーということになる。しばらく休んで歩いてホテルまで帰った。途中信号待ちで中国人から中国語で話しかけられる。長春でもたまにあるのだが,林教授が中国人だと思って道を聞いたんですよとのこと。つまり中国人だと思われたわけなのである。たしかに靴・ズボン・上着ともに中国製。シャツのみが日本のアオヤマで購入したものだがこれもメイドインチャイナだろう。
 帰ると10時過ぎ。ずいぶんゆっくりと散歩したものである。しばらく自室で休んで昼食に。大連市内の大学で教えている林教授の教え子の人たちが案内。刺身などの海鮮料理が主体。時間をかけてゆっくりの食事。そのホテル前の公園に桜らしきものが咲いているので尋ねると桜ですとの応答。今頃が桜の咲く季節らしい。
 午後は審査員である内藤先生のみ会議。なにもない私は自室で休んだり,大学キャンパスを歩いて回ったり。夕食は内藤先生方は審査員たちで会食なので我々3人は,昼間とは別の教え子4人と計7名で「大江戸」という日本料理店で日本料理の食べ放題コース。好物のタイラギの貝柱も。日本酒とビールを飲みすぎて帰る。22時頃まで時間をかけての食事。宿舎に帰って寝る。明日は6時に食事らしい。

 歩数16650歩。

2008年5月16日(金)
作問

 まだ朝は肌寒い。徒歩で通勤。1・2校時は授業がないが,卒論担当の学生が来室。3回目の指導。3・4校時3年生の授業。
 昼食は日本人教師3人で北食堂2階。肉燥飯という挽肉ときのこ丼,6元。
 午後は国際交流科のLさんに昨日電話あった旅行の詳細を聞きに行く。23日から25日で,丹東だが橋や長城の見学ではなくもっと景色のいいところらしい。たしかに丹東郊外にも名勝はたくさん案内してあった。日本のガイドブックには載っていない場所がたくさんあるようだ。
 ここ数日来,行ってきた4年生の卒業考査作問。ざっとひととおり作成。あとは細部の校正・検討。20日の火曜日に印刷にまわせればいいだろう。
 今日の大連行きは20時40分大学正門集合。長春・大連間ノンストップの寝台車だそうだ。22時30分に出て朝6時過ぎ到着予定。
 けっこう仕事をしたので18時30分宿舎着。帰る頃はだいぶ暖かくなっていた。ルームサービスの掃除の方が開け放したのか部屋のベランダのドアが開けてあった。夕食は作るのも面倒なので,ホテルフロントに揚州炒飯のルームサービスを頼む。5元。
 歩数9467歩。
 土日がスピーチコンテスト,月曜が観光,その日の夜行寝台で帰るので20日火曜日の早朝長春着。10時から授業というスケジュール。しばらくブログできない。

2008年5月15日(木)
シムカード交換

 午前中在宅ワーク。卒論指導のための読書。11時過ぎに児童公園近くに出かけ昼食。辛い料理でつまみに最適なので昼間からビール。韮菜合子という揚げ餃子の大きなものを食べた。
 その後,人民広場始発261番バスで豊盛園というところに行き,帰りも同じバスで重慶路まで。そこの郵便局で先週頼んでいた通信用の高額切手6元のシート,水曜日に行くはずだったが今日行ってみるとない。5元切手が25枚あったので購入。また来週行くことに。
 その向かいの携帯電話通信会社に行きシムカードの交換。先週行って直ったかのように思えたが不具合が出るので再び今日行ったのである。電話番号も全部消えると言うので番号の画面をデジカメで撮影。新しいカードになってからデジカメの画像を見ながら,再び1件1件登録。
 帰りはタクシーで10元。昨日に引き続き珈哩工房でシーフードカレー15元と雪花ビール3元,計18元。待ち時間に読書。歩数5893歩。19時前帰宅。
  通信会社にいるときに国際交流科のLさんから電話。夏の旅行が来週23日から25日で丹東に決まったとのこと。5月の連休前に,夏の旅行は丹東ではないですよねと念押しに訊きに行ったにもかかわらず丹東。しかもそのときには6月13日から15日ときいていたので全てのスケジュールを組んでいたのに,よりによって忙しい来週とは。
 明日16日夜から20日早朝まで大連。20日に19日の分の授業をやり21日に授業。23日が卒業試験と授業,その日12時から25日まで旅行。ずいぶんとハードスケジュール。その合間に卒論指導である。
 北國春城日記,昨日の1日アクセス55は,多分最高。

2008年5月14日(水)
作文添削

 歩いて通勤。自由大路のひとつ南側にある自由胡同を東に向かって歩いてみた。7時45分に到着したが,スピーチコンテストの選手の学生が来ていたので授業前に指導する。1・2校時3年生。3・4校時2年生作文。作文のテーマは本日付けの朝日新聞社説をもとにしての「四川大地震」。
 食欲がないせいか昼食も忘れて作文の添削。15時過ぎにスピーチコンテストの選手の読みの指導。その後17時過ぎまで作文の添削。夕食は帰りがけに,久しぶりに珈哩工房に立ち寄りカツカレー16元と金士百ビールの純生4元,計20元。卒論指導の小説本を読みながら。歩数7054歩。
 数日前から見ていた『鹿男あをによし』を10話まで全て終了。原作は直木賞の候補作だったらしい。

2008年5月13日(火)
在宅ワーク 南湖公園散歩

 4年生の授業がなくなったのに伴い,午前中は在宅で仕事。天気がいいので昼食は外に食べに行く。その後,桂林路の靴屋で春用の軽いスニーカーを購入80元。スーパー恒客隆でも買い物。ほんとうに天気がよかったので,買い物したのを宿舎に置き,新しいスニーカーを履いて南胡公園へ。この前行ったのは流氷が残っている時期だったが今日はすっかり春。湖面を渡って来る風は少し寒いぐらい。
 1時間30元の2人乗りレンタル4輪自転車でまだ行っていない西側の遊歩道をサイクリング。歩いては気づかなかったが行きは緩やかな坂道。けっこう疲れた。帰りは逆に緩やかな下りで心地よい風を感じることができた。50分ほどで返却。1時間もサイクリングし通しというのは疲れるものだ。
 そのまま歩いて宿舎に帰る。心地よい春風を感じることのできた1日だった。歩数12914歩。これには50分間のサイクリングは入っていない。

2008年5月12日(月)
長崎郵趣発送

 いったい何時まで寒いのだろうか。今日も肌寒い。歩いて通勤。1・2校時の4年生の授業は今日からない。昨夜日系企業の方からもらった5月初めの朝日新聞などを見る。9時30分からの休み時間に卒論担当の学生が初稿を持ってきた。来週までに読まなければならない。3・4校時3年生。授業終了後廊下でR教授と会ったので17日からの大連行きの件について訊いた。切符とホテルは予約済みで19日の観光は旅順がOKだそうだ。旅順は外国人の観光は制限されているが教え子がいっぱい入るから心配しなくていいとの頼もしい返事。そのままスピーチコンテストの選手と打ち合わせ。
 昼食は内藤先生と北食堂2階で。私は四川涼拌面。明日は授業がないので,在宅で仕事できるようにがんばって仕事をする。16時45分過ぎに大学を出て桂林郵便局に。大学前から240番バスで。夕方の渋滞の時間帯なので自由大路じゃなく西康胡同を通って桂林路まで。桂林路郵便局で福岡と広島宛に普通切手の30枚シート全貼りで発送。広島は昨日購入した40分切手シートと6元切手のペア貼りで21元。3元不足のはずなので2元と1元切手を貼ろうとしたらプーヤウ(不要)と制止された。いったいどういうことだろうか。福岡は19.5元のところ80分切手全貼りで24元。過納便。郵便局ではどこも横5枚ストリップの状態でしか普通常備していないので耳紙付はかなり貴重。その中でシート全貼りは将来の名品確実。ぜひともエンタイアのまま保存してほしいものである。
 歩数7867歩。帰りにバスを使った分だけ歩いていないことになる。

2008年5月11日(日)
文化祭中止(延期) 日本語教師勉強会 牡丹公園 母の日

 外国語学院の日本文化祭当日なので,昨日のうちにデジカメやDVのバッテリーの充電をしていた。三脚等の機材もあるのでタクシーで通勤。513号室に行くと内藤先生がおられて,文化祭は中止とのこと。午前中停電になるのでできないそうだ。ケータイが不調なので連絡がつかなかったようだ。今日ないということがわかっただけで,延期なのか中止なのかも不明。しかしこれで日本語教師勉強会に出席できるので喜ばしいこと。勉強会は9時30分からなのでしばらくパソコンを起動させて仕事をしようと思ったら,停電。
 大学前からバスで桂林路に行き,桂林郵便局に。長崎郵趣の発送。航空便では間に合いそうもないので奮発してEMS,119元。日本円で1800円ぐらいだから日本から送るEMSよりずいぶん高い。
 宿舎に帰り,本館6階で勉強会。会終了後食事会は宿舎のレストランで。10名ほど参加。80歳の韓国人パクさんは英語より日本語が親しみを感じる,青春時代の言葉だそうだ。日本人と同じように教育を受け,日本精神を身に付けられてよかったとのこと。食事代は一人20元。大勢ですると安いものである。中国の大衆食堂はビールもスーパーで購入するくらいの値段。酒で儲けようとしないのである。多分瓶ビール1本2〜3元なのだろうと思う。これが日系の888ラーメンだと同じものが12元になるので大きな違い。
 ビールを飲んだため別館の自室でしばらく横になる。ややあって児童公園の近くにタクシーで行ったのが14時過ぎ。そこから重慶路のケータイ通信会社に歩いて行く。窓口に行くと担当者がシムカードを取り出し,簡単な設定で直ったようだ。道路向かいの郵便局で記念切手と普通切手のシートを購入。6元切手が2枚だけあり2枚とも購入。シートがほしいというと服務員が今度取って置いてやるから何時来れるかと言うので,明日と私が言うと水曜日にしか来ないと服務員が言うので水曜に行くことになった。30枚シートである。これが中国の現時点での最高額の切手。EMSと小包は切手で支払えないので高額切手は必要ないのだろう。カウンターと反対側のショ−ケースに行くと,記念切手のうち小型シートは一人1枚という。知人と二人で2シート購入。ショーケースにはあんまり種類がなく,中の棚に何種類かのシートが見えたので見せてほしいというと予約の分なので売れないとのこと。結局売っていただける分を全て購入。と言っても100元分ぐらいであるが。
 近くのウォルマートで食料品を購入。母の日なので知人は贈り物を購入。ラッピングとカーネーション1輪はサービス。そのまま牡丹公園へ。ちらほら牡丹が咲き始めている。のどかな休日の風景。昨日CCDが戻ったデジイチで写真を撮る。
 ゆっくり園内を散歩後,人民大街の反対側の児童公園を横断して入り口を抜けたところで知人と別れ,タクシーで帰宅。
 夕食は日系企業の方とすることになり,再びタクシーで出かける。シャングリラ近くの韓国料理店に入った。真露という韓国焼酎を飲んだので2人で84元。30元が焼酎の分。
 22時に帰宅。門限には間に合った。結構歩いたので万歩計の歩数は16948歩。

2008年5月10日(土)
長崎郵趣

 日付は,もう10日。長崎郵趣の編集をしていないのに気づき,午前中かかって編集。後からメールで訂正が来た分もちゃんと直した。13時から印刷。まず長崎に送る分4ページの各30部の印刷。フォト印刷なので遅遅として進まず。1ページに90分ぐらいかかる計算。郵便局が開いている17時までに間に合いそうもない。今日発送を諦める。
 プリンターに紙をセットして出かけた先は紅旗街のバイノウフイ。ソニーのデジイチのCCDにゴミがついたのか,定位置に黒点。ソニーのHPで調べてみたらブロアーで掃除しろとのこと。そのブロアーを求めに行ったのである。
 タクシーだと5元だが,バスで1元。紅旗街到着後,ソニーの代理店で掃除セットを購入,68元。店頭でもかなり掃除をやってもらったが改善せず。自分でやるしかないとのこと。それとケータイの着信ができないとの知人からの訴えがあり,その旨言ったら店のお姉さんがかなり親身になって面倒見てくれた。シムカードを他のケータイと入れ替えてみたり。結局通信会社に行くしかないとの結論。
 その他パソコン関係の小物を購入。夕食は5階の美食街で。海鮮ビビンバ10元。帰りは運動を兼ねて散歩して帰る。歩数7872歩。
 帰宅すると,印刷の各30部は完成していた。今度は福岡と広島に送る分25部の印刷。就寝前にさいごのセットをする。
 デジイチのCCDの掃除はミラーの裏を吹き飛ばしたらきれいになった。

2008年5月9日(金)
最後の授業

 まだまだ肌寒い。徒歩で通勤。最近は宿舎の前の西康胡同を東に進み同志街もそのまま突き抜け(ということは横断歩道でないところを渡り),西康胡同を突き当たりまで行き右折して自由大路横断,左折して人民大街横断で,大学へ,という行きの通勤路が多い。人と車の往来が少ないため。自由大路や人民大街の大きな道路も車が来ないときを見計らって車線ごとに渡っていくすべも身についた。横断している人を見つけては一緒に渡っていくのがポイント。人民大街は市内向けの渋滞なので西側から歩いて行けば南向きの右車線は空いている。そこで6車線分を悠々と渡り中央の安全帯で待ち,赤信号で止まったらその車の間を抜けて残り6車線分を渡ればよいのだから要領を得れば簡単である。
 1・2校時4年生。最後の授業。リクエストがあったので授業の様子をデジカメで撮る。4年生が卒業記念ビデオを今年も作るらしいのでその素材にするのであろう。学年末考査の試験範囲や形式について話す。
 2校時終了後の30分の休憩時間に4年生卒論担当者の指導。
 3・4校時3年生。授業の前に日曜日行われる日本文化祭の劇の最終仕上げというので時間を取って行う。簡単な講評を私。会場の都合で2週間後に延期かと言われていた日本文化祭も大学本部キャンパスの施設が借りれたとのことで予定通り今週の日曜日に実施されるとのこと。
 13時近くまで雑事をし,14時過ぎに早めに帰宅。途中,西康路の「888ラーメン」に久しぶりに立ち寄りとんこつラーメンで遅い昼食。
 歩数6504歩。最近疲れ気味なので早めに寝る。

2008年5月8日(木)
読書

 天気曇りで気温も低そうなので外出せず。読書して過ごす。『文學界』5月号の短編小説をいくつか。それに在日中国人学者の金文学氏の著作。金氏は東北師範大学の出身者だということを初めて知った。
 夕食にドライカレーを作ってみる。 

2008年5月7日(水)
胡主席訪日

 今日も風が強い。風力発電でエネルギーをまかなうというのもできそうなくらい。
 1・2校時3年生,3・4校時2年生作文。昨日の中国の胡錦濤国家主席の訪日について,日本の新聞記事を読んでの作文。
 昼食は,北食堂2階の品四川という店の茸挽肉丼とでもいうべきもの。辛くないのがいい。午後,卒論指導が学生の都合で金曜日に延期。作文の添削。一息ついたところで帰宅。恒客隆スーパーマーケットに買い物に行く。米旗というケーキ屋でケーキを買う。
 18時前帰宅。万歩計10410歩。

2008年5月6日(火)
作文添削

 日本では今年から5月4日がみどりの日という祝日になったせいで今日まで休みらしい。
 朝,タクシーで通勤。1・2校時4年生。4年生は今週で授業終了のため,自主教材の加藤秀俊『個人の可能性』。通常4・5時間ぐらいでやるのを90分で仕上げる。黒澤明の映画『生きる』を視聴覚の授業で見ていたためできたこと。
 その後は卒業論文の添削と資料調査。昼食は北食堂2階東端の加州牛肉面屋の氷頂冷面。店ごとに麺やタレが違うので面白い。
 午後はひたすら作文の添削。18時前に大学を出て歩いて帰宅。歩数8142歩。

2008年5月5日(月)
風強く柳絮舞う

 朝,通勤時,風が強い。歩いて行く。1・2校時4年生,3・4校時3年生。昼食は北食堂2階正面の店の氷頂冷麺。香草と唐辛を抜いて胡麻ダレをたっぷりかけてもらう。
 午後,作文の添削。夕方日本人のK先生が来られて日本人教師三人で情報交換。今週日曜日は日本文化祭。
 風が強く柳絮舞う中を歩いて帰宅。万歩計9051歩。

2008年5月4日(日)
青年の日・柳絮舞う

 昨夜,といっても実際は今日だが,長春に着いたとき雨は止んでいたが大きな水溜りがあったので雨が降ったらしいと思っていたら,今日も朝から雨。
 日本はまだまだ連休中だが,こちらは今日から平常復帰。金曜との入れ替わり授業。
 タクシーで通勤。1・2校時4年生,3・4校時3年生。今日は五四運動にちなんで青年の日というので午後から学生は休み。私も早めに帰り,知人と昼食。その後散歩と散髪。散髪とシャンプーで15元。散髪後の散歩の途中,柳絮が舞っていた。昨年より2週間ほど早い。282路のバスで曙光路から桂林路まで帰る。歩数7006歩。

 県教委から教育長交代の挨拶状。「タカハシスタンプ」500号記念号到着。
 憂鬱なメールが昨夜到着し晴れない1日。

2008年5月3日(土)
丹東旅行3日目

 帰りの汽車は15時58分。朝食の中華バイキングを食べチェックアウトまでのんびり。錦江公園から市内が一望できるというので行くことに。途中,古玩城のビルがあったので5階までざっと見て回るが北朝鮮のラベルのような切手が置いてあるぐらいでたいしたものはなさそう。
 鴨緑江側から歩いて駅を過ぎ,突き当りを右折,さらにすぐ左折して陸橋を越えると錦江公園。入場料5元。天気がよく暑い。アイスを2回食べたりしながら頂上を目指す。途中,孔雀を見たり,造花の庭ではあり得ないぐらいのさまざまな花。写真を撮っているとここは有料で3元だという。カードをぶら下げた係員らしき人に撮影後3元払う。頂上の錦江亭までは石段を何度も休みながら登っていった。
 錦江亭の4階からは丹東市内が一望。北朝鮮の新義州の街も展望できた。昨日はわからなかったが,新義州の市内は川沿いから少し入ったところに開けているようだ。風が強くて寒い。時間を見ると14時。急いで近くの西門を目指す。出たところは民家の立ち並ぶ一画。タクシーがつかまらない。来たかと思うと先に乗り込まれることが二度。結局大通りまで歩く羽目に。こんなことなら素直に正門を目指したほうがよかったかも。
 タクシーで一番大きなデパートに連れて行ってもらい,汽車での食料等を仕入れる。海産物が豊富。買い物後タクシーで駅に向かうが歩いて行ける距離。15時到着し改札まで待つ。
 15時30分過ぎに改札。15時58分丹東始発チチハル行き。例によって座席の移動はお互いに交渉で。寝台は取れなかったので硬座といわれる指定席。座っての9時間の移動は苦痛。でも立っている人も多かったのでそれよりは恵まれている。到着は0時50分。乗客の半分くらいが長春で降りた。1時過ぎに帰着。歩数12861歩。かくて3日間の連休は終了した。

2008年5月2日(金)
丹東旅行2日目

 朝6時に客室の鍵をもらい,シャワーを浴びに行く。落ち着いたところで7時過ぎにホテル前の肯徳基(ケンタッキー)へ行き朝食。私はポークチーズバーガーのセット。食後まずは今日のホテルの手配だが,朝早すぎて昼間にもう一度してくれとのことで,観光に行く。タクシーで鴨緑江へ。中朝友誼橋と今は名づけられた橋は1943年完成の第2橋。鉄道と道路がそれぞれ1車線で時間を決めて一方通行で使っているらしい。その西横(下流)の橋が通称「断橋」。1909年着工,1911年完成らしいが,朝鮮戦争時の米軍の爆撃で橋の中央から先が無くなっている。中国側から河の中央まで残っている部分が観光名所として公開されている。入場料20元。大型船の通行時には橋が回転する機械の構造もわかるようになっていた。道路側には中共の解放軍が行進している大きな像のレリーフ。撮影ポイントとして多くの人で賑わっている。その横の要塞は日帝侵略の遺構としての説明。そう,この第1橋・第2橋とも日本が作った橋なのである。歩いて河の中央まで行き,対岸の北朝鮮の街,新義州に臨む。樹木と低い建物。反対側の中国は高層ビルが立ち並び,繁栄を誇示しているかのよう。川沿いに高層ビルが立ち並んでいるのである。
 川沿いが細長い公園になっており,そこでのんびり。遊覧船もモーターボートから大中の遊覧船がいっぱい。中ぐらいの20元の遊覧船に乗り,船上から北朝鮮ウォッチング。30分くらいかけて戻ってきた。
 駅方面に行くといくつものホテル。その中のひとつ凱旋酒店というホテルのフロントで訊くとツインが298元ということなので,そこに決定。保証金を含め400元払う。昼食を終え,荷物を軽くして,もうひとつの目的地「万里の長城」へ。虎山長城という明代の長城。『地球の歩き方』によるとバスセンターからバスが出ているそうなのでそこを目指す。バスセンター近くのタクシーの運転手から声をかけられ,虎山まで二人20元でいいという。ただしあと二人との乗り合わせ。バス代が一人8元なのでかえっていいくらい。しかし乗って驚いたのがそのスピード。先行車をものすごいスピードで追い抜いていく。先行車が横をヒューっとみるみる後ろになるスピードで行くので,助手席に座った私がスピードメーターを見ると140キロだった。ということでバスより何倍も早く到着。
 さて長城は一人あたり入場券40元,博物館10元の計50元。万里長城起点とある。手前から第九要塞が始まり,第1が山向こうにある博物館になっている。頂上が第3要塞。1時間以上かけて山登り。下って博物館。長城の歴史と過去の戦い。実物大のジオラマに日本の国旗があるので説明を見ると「甲午中日戦争」の再現だとか。日清戦争の中国での呼び方である。その後は日俄戦争(日露戦争の中国での名称),中日戦争時の抗日の様子と日本の侵略を糾弾する内容はどこの施設でも共通したこと。こういう施設で「学習」すると日本は19世紀末から世界征服を夢想し,中国をまず侵略,しかしついにはファシズムと戦う正義の陣営に負けてしまった愚かな国という史観を持ってしまうようになるはずだが,現実の人はそれほど反日ではない。
 帰りは麓を回って入り口まで戻ることになるが,途中に山越えの崖の難所があり,その横から船が出ているので乗る。一人5元で鴨緑江を遡ってくれる。川幅が狭くなったところで右側は北朝鮮。遠くに柵が見える。船着場まで5分ほど。こちら側には兵士らしき人がいたが特に写真撮影には制限はなかった。船着場から入り口までは露店が並んでいた。
 再びタクシーを捜すが乗り合いはあと一人の計三人になったので我々二人で30元ということになった。運転手がトマト3個を土産にくれたのは,料金をぼり過ぎて良心が痛んだせいかどうかはわからない。
 夕方までホテルでゆっくりし,夕食後暗くなってから再び鴨緑江へ。ライトアップされた橋を眺めて散歩。露店には北朝鮮グッズ。2元の携帯ストラップ6個を10元で購入。ホテルに帰ってみると万歩計は歩数21163歩。ちなみに昨日は6583歩だがこれは列車の振動もカウントしていると思われる。

2008年5月1日(木)
丹東旅行1日目

 朝ゆっくり起床し,旅支度。今回は目的地が丹東だけに特化した旅なので慌しいこともない。10時30分長春始発の丹東行き(4206次)なので9時30分にタクシーで宿舎を出発。同行者は中国語のできる知人。駅に到着し,一緒に荷物検査を受け(中国では空港と同じように荷物を機械に通さなければならない),駅の待合室に。始発駅のためか既に改札口が開いている。そのまま改札を通り,13号車を探す。行きは硬臥という2等寝台車。ただし2人とも上中下の上側。そこへ4人組の家族連れ。そのコンパーメントの中2人分と離れた場所の上と中に分かれているので替わってくれないかとの申し出。もちろんOK。
 発車しても行く先々の駅で通過列車の待ち合わせ等があり遅遅として進まない。瀋陽まで4時間ほどかかった。その間寝たり起きたり,同室の年配の日本人の人としゃべったり。そこから本渓を通り丹東に到着したのは20時。始発から終点までの9時間30分の汽車の旅。雨が降っているようで嫌な予感。ホテルは現地ですればいいとの助言を受け,ネットからホテルのリスト(4星から2星)30を持っていたのでなんとかなるだろうとたかをくくっていたのだが,片っ端から電話してもどこも満室。20軒かけた時点でタクシーに乗り,運転手に空いてそうな旅館に連れて行ってもらう。でもそこも「客満」の札。もうバスタブがある所とかそんな贅沢は言っておられない。ベッドがあればOK,最悪ワンパ(インターネットカフェ)かと思っていたら,その近くに旅館。ビルの4階の受付では「客満」。そこでさらに空いてそうなホテルはないかと聞くとボスの部屋を使ってもいいとのこと。ベッドが置いてあった。シャワーは明日6時以降なら客室のを使っていいとのこと。それで決定。そのホテルは最高の部屋で180元だが,社長室は150元。持参の食料とカンビールで夕食。疲れてすぐ寝る。

  2008年5月


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