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2005年11月30日(水)
月末に思う

 早朝補習。2年生の期末考査のため,午前中チャイムが鳴らない授業。午後は試験終了時間のため,鳴る。今年度,県の学力向上の研究指定校になったため,研究授業が多い。その授業記録のビデオを20分に編集して提出せよというのが相次ぎ,今日も若手の先生に簡単なビデオ編集のやりかたを教える。放課後いつもの質問の3年生。19時前に帰宅。

 ここしばらく懸案だったことも,結果を見,しばし休息。明日から12月,気分を変えて原稿に取り組むことにしよう。

2005年11月29日(火)
仲間はずれの1銭

 昨日の授業振替で,今日から少しずつ増えている。2日ブランクがあると,学校の時間のスピードに慣れるのに時間がかかる。2年生は来週に修学旅行を控えているため,今週は期末考査。放送部もしばらくお休みとなる。17時の勤務外になってから,上田歯科の定期検診。19時に学校に帰り,戸締り当番で夜の校舎を回り窓閉め,施錠,消灯。20時前帰宅。

 「プラハの1枚刷りシート」の5額面を見て発行順の5種の他に何か気づかないだろうか。そう,1銭以外は1938年から翌年にかけて発行されたコイル切手4種の額面なのだ。2・4・14銭は初めから輪転版なので問題ないが,5厘はコイル切手を作るため輪転版で新しく製版したものである。こう考えると,ここでも1銭は仲間はずれである。何日か前,1銭の茶色を冴えないと表現したが,じっとみるとなかなかいい色に見えてきた。欲目が出てきたようである。本来博物館に収蔵されるべきアイテム。私の生ある限り大事に保管させてもらうことにしよう。くれぐれも柩に入れて灰にすることのないように遺言しておく。

 JPSからJAPEX出品作品の返却。昨年に比べたら,スピード返却である。昨年の私の提言が奏功したのだろうか。審査評じっくり読ませていただいた。会場での審査員との対話の指摘と全く整合性なし。対話では震災1リーフでは不足せめて2リーフは必要といわれるが,審査票では震災が入ったために構成が破綻したかのよう。また審査評に風景切手のことに触れていず,風景切手も富士鹿切手と思っているかのごとき記述。書かれた方は富士鹿切手と風景切手の分類もできない方なのか。タイトルリーフの説明をよく読んでなく自分の思い込みで書かれた印象。1922−1940は日本の郵便史上,唯一の外信の料金値下げを含む時期。そのための混乱を収めるために風景切手という新図案が必要とされたという事情の視点の欠如。きまぐれに設定した期間でなく必然性のある数字なのである。いずれ公開する場があればこの審査票も審査員名といっしょに,私の作品ともども公開することになる予定。審査とはそれだけの重みがあると考える。
 それにしても,プレゼンテーション5点中3点の根拠こそを審査評で説明してもらいたいもの。そんなに見にくい展示なのだろうか。またアイデアに感心したなら主題の選定・構成・展開30点中19点にせずもっと上げろとつっこみどころ満載の審査票である。
 99000アクセス達成。ここ数日200超のアクセスが続いている。 

2005年11月28日(月)
Holiday in OSAKA
 特にあてのない1日。昨日のがうまくいかなかったら,日フィラで不落札品の落ち穂拾いと次回の下見を終日するつもりぐらいに漠然と計画していたので,成功した今日はそれもする気にならない。

 そこで,大阪の自分にとってゆかりの地を訪ねてみることにした。まず天六。ここは関大の二部に2年間学士入学して国文学科で学んだところ。当時住んでいたのは駅前の新築のマンションだったが,もう築20年ぐらいの老朽建築物になっていた。1Fの喫茶店は健在だが,マンション名は変わっていた。大阪時代の後期2年間住んだ。離れたところにあった駐車場は探し出せなかった。鉄工所があり入り組んでいた路地は整理されてマンションや高層ビルが建っていた。関大天六校舎,昨年行ったときは夜で外からだけだったが,今日は中に入ってみた。公孫樹の黄葉がまぶしかった。徐々に記憶が戻ってきた。
 次に,大阪での前期3年を過ごした我孫子である。当時地下鉄御堂筋線の終点だったため始発で座っていけるのが気に入っていたのだが,今では大和川の下を通り,堺まで延びている。今回20年以上ぶりに再訪。当時畑が多かったように思うが,みごとなまでにビルが建ち並んでいた。我孫子神社の前のスーパーはジャスコと思っていたらイズミヤだった。揚げたてコロッケがおいしかった記憶が蘇る。なんとか思い出しながらJR我孫子町駅に到着。なんと高架になっていた。ということは長居の開かずの踏切は解消されたのだろうか。全く動かないので何度阪神高速で通勤したことか。駅の位置を起点にアパートがあったとおぼしき所へ行くと,マンションになっていた。今でも夢に出てくるアパートは本当に夢の彼方になってしまっていたようだ。
 最後に会社があった中津。5年間通ったところ(正確には4年半である)。御堂筋線の中津駅からどの方角かも最初思い浮かばなかったが,徐々に思い出し,JRの高架を通り抜けると,あった。ビルの名前も以前のまま。ビルの前の小店はコンビニになり,隣の名刺を作ってもらっていた印刷所は別の会社になっていた。その隣の喫茶店は健在。名前も変わっていなかった。在庫整理の後のミックスジュースとサンドイッチを思い出した。ここも20年ぶり。
 時間があったので,ホテルで荷物を受け取ったあと,日フィラに来年の会費を支払いに行く。その後やっぱり不落札品をバスの時間まで見る。ひらがなの部の途中まで見たところで時間となったので,出て丸ビルに。空港のリムジンバスで伊丹空港へ。19時5分発の長崎行き。長崎空港到着は20時30分ぐらい。みどり駐車場の送迎バスに乗り,車を受け取り,途中で食事をして帰宅したのは22時30分前。今日はずいぶん歩き回ったので疲れた。

 プラハの小型シートについては,詳細に書けるはず。1ページのコラムになるか,ページを割いて書くかは調査の結果次第である。やはりいくら鮮明なカラーコピーでも実物とは全く違う。カラーの画集と美術館で見る実物と全く違うごとし。
 「スタンプコレクター」到着。
2005年11月27日(日)
ラストロット

 宿泊している義弟の単身赴任先のマンションでゆっくり起床して日記をアップ。朝昼兼用の食事をし,第3ビルへ。会場ではH氏が横の席を空けてくれ着席できた。時間が潤沢にあるのでブース巡り。アオヤマスタンプがなんと日本切手を持ってきていたので丹念に見るとけっこう使えるものがあった。本の図版に使わせていただくことになるだろう。いくつかの店で小物を入手。
 ラストロット,メールの1番値を超え,場で競り上がる。あんなに早いスピードで上がっていくのは初めての経験。終了後ひときわ大きな拍手。何人もの知人から「おめでとう」を言われるが複雑な心境。安堵感のみ残る。
 終了後,岡山のAさんや芦屋のOさんら8人で食事。食後の喫茶店ではAさんの小判切手をみせていただく。戦前記念シートコレクションのリーフもAさんならでは。パック旅行セットの梅田OSホテル泊。
 明日は,ゆっくり帰途につく予定。

2005年11月26日(土)
JAPANフロア1日目

 3年生は模試だが1・2年生は土曜講座である。平日の授業は振替がきくが,休日の土曜講座は1・2年生は国英数の3教科で行っているため振替ができない。だからどうしても休むわけに行かないのだ。終了後学校近くのスタンドで給油していると,オイル交換や前輪のパンク修理やらでけっこう時間がかかった。家に寄り持っていくものをまとめ,大村空港へ。14時25分大阪行きに乗る。15時40分に予定時間より遅れて到着。すぐにリムジンバス乗り場へ。15時50分発新阪急ホテル行きで大阪駅に向かう。渋滞でやや遅れて到着。地下道を通って第3ビル17階へ。

 顔なじみの人たちに挨拶し空いている席を確保。結局今日フロアで落札したものは,1点のみ。日専型録値を大きく超えて落ちた。現物は見ていないが,これで記事が書けそうなもの。JAPEXの審査員との対話で指摘されたものでこれで完全に揃ったことになる。
 ラストロットの下見。裏にはずいぶん薄シミが。シワはオリジナルだろうか。あまり高値で買いたくない状態。JAPANスタンプブログではプライベートで取り引きされたこのシートの所有者は「最高で最適の新所有者」という表現が使われているが,その時点でそう見なされていない私が購入してもいいのかという葛藤で悩んでしまう。明日はどうなることやら。
 とどさんから本を買う。カラー版2000円の方である。レーザープリントで鮮明な仕上がり。たしかに作れば作るだけ赤字になりそうなコストをかけてある。

 フロア終了後,M崎さんから誘われて,関西の方と。Y本さんF井さんと4人で食事。2次会の丸ビルに行く途中,バザールミステリー衆ご一行様とばったり出会う。折しも一人の携帯にF井D太さんからかかってくるというタイミング。丸ビル階上のバーで2次会。帰り際にI葉氏登場,移動中に二人帰りF井さんと3人で3次会。
 1次会2次会では伝説の岡コレクションについての話を伺うことができ,有益なひとときとなった。

2005年11月25日(金)
『こころ』

 早朝補習。午前中授業の合間に定期健康診断。バリウムを飲む胃検診等おそろしく待ち時間が長い。今日はエコオフィス活動の当番なので,昼休みと放課後の消灯の確認をしていく。放課後放送部へ。その後いつものように3年生の生徒と古典の個人指導。19時前帰宅。

 JAPANのスタート値。真っ先にラストロットの確認。衝撃。退く勇気を持つのもひとつの選択といえるかもしれない。「進むべきか退くべきか」で悩むとは夏目漱石の『こころ』の主人公「私」の心境。尤もこちらの主人公はお嬢さんへの恋で悩むのだが。明日の大阪行きは蒐友との再会と歓談の場になるか。
 「新消印とエンタイヤ」到着。

2005年11月24日(木)
「長崎郵趣」

 早朝補習。職員朝会の後,表彰伝達式。地区大会以上の入賞者の表彰である。各部とも新人戦が多かったこともあり,数十人が登壇。35分もかかった。午前中5分の短縮授業。放課後放送部に行き,3年生の生徒の質問に答える。19時前帰宅。

 調べることがあって,昔出ていた「長崎郵趣」を引っ張り出してpdfに。来年JPS支部報として復活するかもしれない。

2005年11月23日(水)
嵐の前の静けさ

 休日といえどもいつもの時間に起きるが,そのまま二度寝。普段からあまりTVは見ないのだが,DVDのビデオやデジタルハイビジョンの映像はこんな休日にはふさわしい。ゆっくりと過ごした1日であった。外に出たのは新聞を取りに出たくらい。まさしく勤労感謝の日に似つかわしい1日であった。嵐の前の静けさか。
 98000アクセス。このペースで行くと12月の第2週ぐらいに10万アクセスになりそう。

2005年11月22日(火)
想定内と想定外

 朝方肌寒くなってきた。センター試験まであと60日となってきた。早いものである。7校時交通安全講話のため6校時ビデオ上映の準備に走り回る。昨夜送ったエクスパックは無事届いたようだ。いよいよ九州大会の準備も整ってきた。いつも国語の質問に来ている生徒の応対。19時前に帰宅。

 SEVENの27銭は予想通りの落札値。40銭2枚貼りは予想以上の高値。多分郵便史の専門家同士の競合だろう。たしかに少ないものではあるのだが。伝統郵趣では40銭切手の使用例としてはそこまで出せない。JPPの担当の方から昨日送信の原稿についてのメールあり。私はおだてにのりやすいタイプなので,がんばって書いていこうという元気が出てきた。

2005年11月21日(月)
サンプルページ送信

 昨日そのままいつのまにか寝てしまったので,早起きして土日で書いた原稿を,日本郵趣出版にメールで送る。サンプルとして6ページ分である。
 早朝補習から午後補習までぎっしり。授業に行っている6クラス全部に行ったことになるということに気づく。これは早朝補習に1年のクラスに行ったときのみにおこる現象。1年の補習時間割は曜日固定でなく国英数の循環型だから日々変動するのだ。放課後は放送部。九州大会用の台本用の原稿書きを1年生総出で清書中。2年生は作品の最後の微調整。細部に納得のいくまで凝るというのは大切なこと。凝りすぎてひとりよがりにならなければよいのである。途中いつも来ている3年生の質問の生徒の応対。途中に何度か放送部の生徒が指示伺い。台本の製本まで終了して放送部の生徒は帰っていった。3年生の生徒も帰り,台本を見てみると不備を発見。表紙のみを差し替える作業。MDとバックアップのテープ,台本12部を全て点検して,エクスパックで発送。帰宅は20時前。月一のノー残業デーなのにこの時間である。

 乃木2だけを独立したために,1次昭和の総論を2ページ。4銭を少々。原稿書きが軌道にのってきたようだ。

2005年11月20日(日)
スタンプショウナガサキ

 いつものように6時に目覚め,「文學界」をパラパラとめくっていたら,「テディベア」なる作品,テディベア作家の世界が描かれており,一気に読む。どこかの業界とよく似た世界。オチもいい。達者な書き手とみた。で,読み終えて二度寝して起きて急いで準備する。長崎郵趣会の例会である。今月の講師は宮崎さん。テーマチクのアルバム11冊を持参しての解説。ほんとうに切手好きな方である。来年の「九州郵趣家のつどい」の概要を会員に諮る。最後にKさん持参の重品分譲。会終了後実行委員数名で打合せ。第1次案内の文面を練る。その後ニュー長崎ホテルでコーヒーを飲みながら歓談。JPS支部設立の話をする。1月に会員に諮って早ければ4月にJPS長崎支部設立となる。そのうちに「スタンプショウナガサキ」も開けるようになるかもしれない。ヤマダ電機に寄って小物を購入して帰宅したのは19時前。少し原稿を書く。

2005年11月19日(土)
構成(とりあえず)決定

 代ゼミのセンタープレテストの試験監督でいつものように出勤。土曜日というのにいつもと同じように朝は車が多い,これが日曜となると途端に少なくなるのだが,やはりこちらでは土曜日休みのところは少ないということか,などと考えながら出勤。昼休み等に推薦入試面接の指導。終了後,放送部の生徒の作品制作に行く。2年生は休日なのに昼前から登校しての作品制作。18時過ぎた頃,ほぼ完成。結局帰宅はいつものように19時前。

 「読み解く」構成も決定し,取りあえず額面別のページの執筆。発行順なので,乃木2銭である。パーソナル編集長で実際の版下のレイアウトで作っていく。額面のページは見開きでの構成を基本にしているが,微調整は後日。図版を入れて6ページ分。この調子でいけば,予定通り完成しそう。

2005年11月18日(金)
JAPAN行きの計画

 JAPAN行きの授業振替完了。着々と準備が整いつつある。午後にインフルエンザの予防接種。受験生相手だけにこちらの予防は必須である。放課後補習の日。終了後放送部へ。クリスマス発表会の企画中。昨年開いたのだが,今年もぜひやりたいとのこと。期末試験後のオフシーズンのひとつの目標として設定してある。アナウンス・朗読・番組とちょっとしたミニ発表会である。12月24日の補習終了後に計画しているらしい。私にケーキを出して欲しいとのこと。一方九州大会の作品制作の方は,別室で編集作業。県大会で指摘されたマイクノイズを除去する根気のいる作業に慣れたようだ。19時30分帰宅。

 JAPANの目録。見れば見るほど品物が出てくる。そこそこのものはメールで入れて,場で競るのは1点のみ。でも競れなかったりして。その時は思う存分場で競ることになるだろう。

2005年11月17日(木)
1銭の必然性

 早朝補習。3・4・5・6と授業公開時間だが,その4時間とも授業。これまでは午後のみだったが,今日からは午前中の公開も入ってきた。雨がちの曇りの天気のためか参観者少なめ。放課後放送部。数人で,島原のアーケードに街頭インタビューに出かけて行った。やる気十分である。放課後補習終了の時間からは副担任をしているクラスの生徒の推薦面接の練習を2人ほど。某私大の薬学部の推薦入試合格の報告あり。帰宅19時。

 昭和切手は2銭4銭5厘1銭14銭の順に発行された。2銭は言わずと知れたスーパースター,情熱の赤。しかも葉書料金である。4銭も2銭に劣らず緑の渋い,封書料金の切手。5厘は額面順に並べたときの最初の切手。高貴な紫。14銭は最初の2色刷,鮮やかなピンク色。こう見てくると1銭のラストロットの必然性がわかる。ウリが何もないのである。茶色の冴えない刷色。強いて言うならば公開競売で売られる最初のロットということのみ。最低条件のこの切手の評価をもとに何時の日か市場に出てくるであろう既に販売された切手たちの評価が定まるというわけだ。全てオークションで売るよりは全体の評価は上がるわけだ。恐るべき企みである。

2005年11月16日(水)
「読み解く・昭和」

 早朝補習。研究授業の参観や午後から出張の先生の代講でまたたく間に放課後。放送部の九州大会作品についての指導。18時30分帰宅。

 少し早く帰宅すると,郵趣に割ける時間も多くなる。ちょっといいことあり。ここのところ「読み解く・昭和」の構成を考えている。

2005年11月15日(火)
JAPAN予定

 やっと寒くなってきた。1・2校時授業。昼休み巡視当番。6校時に7校時行われる「人権・同和教育」のビデオ上映の準備。無事に開催できた。終了後の撤去作業は生徒会のメンバーと放送部が手伝ってくれた。放課後3年の質問の応答と推薦受験の生徒の面接の練習。19時帰宅。

 JAPAN行きのスケジュール,ほぼ決定。土曜は土曜講座の授業が入っているので午後の便で出かけることにした。16時過ぎに会場へ行けるはず。大事をとって日曜も宿泊し,月曜にゆっくり余韻にひたりながら帰宅することにした。

2005年11月14日(月)
JAPAN到着

 月曜日は午後に偏った時間割。放課後放送部で放送室の大掃除。環境を整えて九州大会に向けての作品制作に専念するためである。県大会での指摘を受けて部員達は張り切っている。早速,制作班で県大会7人の審査員評の分析。それを踏まえて話し合い,構成表を持ってくる。アドバイス。取材は明日から。帰宅19時過ぎ。

 「郵趣ウィークリー」「スタンプマガジン」「スタンプシバタオークション」。そしてついに「JAPANオークションカタログ」到着。ラストロット上下にシワがあるように見えるのは光線の具合か。
 97000アクセス。

2005年11月13日(日)
九州大会

 朝6時40分島原駅発マイクロバス。英検受験で参加できない1名を除いて,放送部の生徒17人を連れて九州放送コンテスト長崎県大会の会場である活水高校へ。8時40分ほど到着。審査員打合せのあと開会行事。全体会の会場は,被爆遺構のチャペル。原爆で残ったものだそうである。女子校ということで男子トイレが少ない。開会行事終了後審査。私は番組部門。午前中テレビ番組部門。午後ラジオ番組。本校の作品はラジオ番組が4位で6位までが入賞・優秀賞ということで九州大会に出場できる。本校から九州大会のラジオ番組部門への出場は4年ぶり2度目ということになる。私が赴任する前年に出たらしいので。アナウンス部門は予選10位で決勝に1名出場。決勝14位で惜しくも入賞ならず。朗読部門は予選通過ならず。16時30分,予定通り閉会行事も終了し,賞状と盾を持って全員で記念撮影。九州大会は12月16・17日に福岡のももちパレスで開催とのこと。18時40分に島原駅着。解散。帰宅は19時。

2005年11月12日(土)
長崎歴史文化博物館

 ゆっくり起きて,加治屋町の富士男のモーニング。浜の町のアーケードの弘文堂書店で陰山英男「学力の新しいルール」を買う。保護者・教育関係者・行政必読の書。その後,11月3日にできたばかりの長崎歴史文化博物館へ。常設スペースの年間パスポートが1800円というので,こちらを購入。会館記念の企画展は「長崎大万華鏡」と題して館所蔵品とオランダ・ライデン国立民族学博物館のシーボルトコレクション。あたかも当時の日本のタイムカプセルのようである。帰路放送部の生徒からメール。放送室に明日の放送コンテストのバックアップテープが置いてあるのでとってきてほしいとのこと。そのまま学校に行き放送室へ。帰宅16時過ぎ。

 原稿すすまず。

2005年11月11日(金)
27銭単貼

 早朝補習。授業を午前中に上げてもらって午後から長崎へ。同窓会の長崎支部の総会懇親会出席のため。同窓会事務局長が都合により出席できないため,校長と私の2名が学校から,同窓会本部から会長・副会長2名計5名が長崎外からの参加。2次会「千葉」で。ホテル帰着23時30分。

 27銭カバー既に入札済とのこと。

2005年11月10日(木)
27銭単貼書留

 早朝補習。昼休み放送部の台本作成。放課後テープの最後のやり直し。台本作成。結局18時まで。最後は見切り発車。ラジオ1本,TVドラマ1本,ドキュメント1本の計3本が番組に出る。アナウンス5人と朗読2人がそれぞれの部門に出場。出る前に3年生の質問があり,結局事務局の諫早高校に番組3本とアナウンス・朗読・番組の台本各部を届けたのは19時30分。帰宅は21時過ぎ。

 「SEVEN」到着。久々にいいものが表紙に。消印がいまひとつだが,売れることは間違いない。

2005年11月9日(水)
最大のヤマ場

 放送コンテストの作品提出が明日。なんとしても仕上げなければならない。昼休みの時間にラジオ番組の台本完成。放課後は3年生が国語の質問にくる。その合間にラジオ番組制作班が台本の製本終了を終え持ってくる。残るはTV番組の2本。部活動帰宅時間延長を関係の先生方に認めていただき,結局編集機1台を分担して使用することに。2作品とも編集機の中に入っており,いまさらパソコンで素材の切出しからやっていては却って時間がかかるという判断。まずTVドキュメントの作品完成。入れ替わりにTVドラマの編集。ドキュメントは台本制作にとりかかる。結局ドキュメントは台本完成までで,製本は明日にということで帰宅させる。郡部の生徒は途中,汽車の時間に合わせて駅まで私が車で送る。到着駅からは車で迎えにきてもらうように手配。市内の3人は車で迎えに。残るは黙々と作業するTVドラマの3人。ある程度目処が付いたところで1人自宅からお迎え。結局2人でなんとか作品完成まで漕ぎつけた。こちらの台本は途中まで。残りは明日。2人は下に迎えにきている保護者の方に挨拶し送り出す。私が編集機からテープに出力するのを終え,残務整理をし帰宅できたのが22時過ぎ。最大のヤマ場を乗り切った。

2005年11月8日(火)
構成

 早朝補習。授業の合間にPレコード会社にCDの局の著作権処理の電話。FAXで申請すると,もう夕方には担当者から許可の返答。スムーズである。P社に好感を持った。
 放課後放送部の番組制作班の指導。台本の制作。質問の3年生の指導。ラジオ番組1本完成。TV2本は明日以降の予定。帰宅20時前。


 「日専を読み解く」全体の構成を思案中。序論・本論・結論の三段構成が基本だが,ちょっとひねった起承転結の構成も面白いかもしれない。章立ての表現もわかりやすい表現を考える。

2005年11月7日(月)
割付

 月曜は午後からが忙しい。午前中は2だけなのに午後は5から8が連続。ということは終わると17時過ぎ。放送部へ行くと番組班が制作の真っ最中。編集機材が放送室に一つしかないため順番待ち。それぞれが制作の三つの番組の題名も決まり,事務局へ申込書をFAX。明日からの2日がヤマ場になる。20時前に帰宅。

 「郵趣ウィークリー」到着。郵趣出版から速達で割付表送付。ページ割りをしてみようと思う。
 96000アクセス。どうやら年内に10万アクセス達成できそう。

2005年11月6日(日)
車内からヤフオク

 昨日の二日酔い。ビール・日本酒・ウィスキー・ブランデーと混ぜて飲めば翌日に応える。二度寝して起きたのは10時過ぎ。連絡をメールでとり午後から出かける。かもめは日曜の帰りの便はいつも指定席は満席である。到着と同時に帰りを予約するが満席。前回の失敗を繰り返さないために,追加料金を払ってグリーン車を予約する。駅前のヨドバシカメラで時間まで買い物。20時2分発諫早21時32分着。21時51分諫早発22時45分島鉄湯江着。23時前帰宅。先日購入のサザンの「キラーストリート」MP3プレイヤーに入れてかもめ車内で通して聞くことができた。

 島鉄車内で携帯からヤフーの応札。これでだめなら諦めようと思っていたが,到着後確認すると落ちていた。帰宅後ストックブックの整理。

2005年11月5日(土)
谷川俊太郎さんの講演

 土曜講座が午前中開催。午後から講演があるので,帰る。入場13時30分開幕14時。有明町文化会館800席がほぼ満席の状態。知り合いが何人も来ている。S保育園創立50周年記念にK園長がお招きしたのは,詩人の谷川俊太郎さんと覚和歌子さんである。園児たちのことばあそびうたに始まり,ご本人の朗読と感動のひとときだった。覚さんは「千と千尋の神隠し」主題歌「いつでも何度でも」の作詞者である。ご本人もボーカリストなので,実際に歌われたのは感動ものであった。開始前に谷川さんのサイン入りCDソングブックを購入。終了後のサイン会は1時間以上の行列だったそうだ。18時から縁のある方々20名ほどで懇親会。谷川さんといっしょに写真に収まることができた。懇親会最後の万歳三唱の発声を指名され恐縮しながら行った。2次会「絹」,ここでKさんと別れてもう一軒。24時帰宅。

2005年11月4日(金)
郵便物多数

 早朝補習の時間と1校時も空きだとのどかに朝を迎えられる。事務的仕事をする。放課後放送部へ。着々とコンテストの準備ができつつある。ドラマも途中までの制作分を見せてもらった。著作権処理がやっかいなので,音源は著作権フリーのCDを使うように指示。19時30分に帰宅。

 
小判振舞処の席上で注文していた「駿東郡の郵便印」が届く。オールカラーのマテリアルのページにしっかりした解説が付く。
 「タカハシスタンプオークション」「日本フィラテリックセンターオークション」誌到着。
 「読み解く・昭和」の原稿を少しずつ書かなければ。

2005年11月3日(木)
pdfファイル

 9時30分から中地区の放送部強化練習会だが,私は会場校のため9時に行き,同窓会館の鍵を開ける。午前中アナウンスの課題原稿と自作原稿の読みの指導。午後朗読の指導。終了は16時30分の予定だったが16時前には終わることができた。放送室に顔を出すと,ビデオ制作班のメンバーが数名。17時前に帰宅。少し疲れて横になる。

 JAPANのHPからpdfファイルをダウンロードして,pdfファイルをそれぞれ結合させて,フロア単片・フロア田型・メール単片・メール田型の4つにまとめる。これで連続してページを見ることができるようになった。メールは場合によっては入札することになるかもしれない。

2005年11月2日(水)
構成

 早朝補習から始まる1日。4から7までの連続。放課後放送部。13日が県大会。テレビ番組部門2本,ラジオ番組1本,それぞれのチームが制作中。テレビはドラマとドキュメントそれぞれ1本である。明日3日はアナウンス・朗読部門の出場者7名の中地区強化練習会。地区内最多出場者ということで本校で開催される。明日9時30分から。準備のため9時前には行って同窓会館を開けておかなければならない。18時30分過ぎまで練習。
 予約していた谷川俊太郎さんの講演会のチケットが手に入る。20時前帰宅。ようやく早い時間帯の帰宅。

 「読み解く・昭和」割付のページ組と全体の構成の再考。各額面のページは見開き2ページを基本にその倍数で構成していきたい。

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2005年11月1日(火)
創立記念日

 創立105周年目の記念日ということで生徒は休日。教員も年休を出して休めるのだが,模試の監督で休日出勤。並行して国語部会の仕事や放送部等の書類整理。17時過ぎに上田歯科で定期検診。結局先月行けなかったので2ヶ月ぶりとなる。
 母校の創立記念日の日は島原高校有明在住者の会である「有明島高会(ありあけとうこうかい)」の会合である。19時から「もとよし食堂」で。50名ほど集まった。2次会は島原に行き,帰宅は25時。

 「郵趣」11月号,「たんぶるぽすと」到着。

  2005年11月


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